2011 年 11 月 のアーカイブ

今月の法話(12月)

2011 年 11 月 30 日

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     「気付かせていただく」
     野村恒道(芝組常照院)


 早いもので浄土宗の月訓カレンダーも最後の一枚を残すのみになってしまいました。今年も流行語大賞や、今年の漢字が選ばれています。候補の中からあれがいい、いやこっちがぴったりだ。人さまざまな意見が聞かれます。そうした時に皆この一年を振り返って、誰しもああもう今年も終わりかと、それぞれの感慨にひたっていることでしょう。

今年、我々は法然上人の800回忌をご回向させて頂いたわけですが、799年前に遡ると、その一周忌を目前とした建暦2年(1212)の今頃、お弟子の源智上人は法然上人を失ったその1年をどのように受け止めていらしたのでしょうか。師の恩徳に報いる為に大勢の勧進を募り、三尺の阿弥陀如来像を造立して、暮れの12月24日には、その胎内に4万6千人以上もの結縁した人々の名前を書き連ねた結縁交名状を封入しました。そして皆が法然上人の教えによって阿弥陀様に救われ、極楽に往生できるよう願文を認めました。そうした善行が、先だった師の御心に沿うものであると確信したからです。長年に亘り、常に師法然上人のお傍に仕えた源智上人ならでの報恩行と申せましょう。

しかし、親であれ師匠であれ、既に往生された人々の思いを受け止めるのは容易なことではありません。先だった御魂の思いは、月の光の如く常に我々の方に照射をされている筈ですが、それに気付かずに過ごしている日常です。そしてそれに気付く時は、心にある水鏡に月を映すがごとくです。夜空に煌々と照り映える月の姿は、海でも川でも、はたまたその辺の水たまりにまで映ずることがあります。しかしこれを心の水鏡に映すのは至難のことです。我々の水鏡は普段忙しさにかまけ、煩悩にさいなまれて、得てしてその水は濁り、ゴミが浮いている、ぶつぶつと不平を言うがごとくあぶくを吹いている、波風が立ってその水面は一向に落ち着かない。こうした我々の常日頃では、そこに映しだす月の姿は醜く歪んだものにしかなりえません。

仏壇やお墓やお寺にお参りする。ひと時端坐合掌しお念仏に浸る時を持つ。そのような静寂な時を得て、ヘドロやごみを取り除き、油をうったような明鏡止水と言われる水面をわずかな時間でも作り出してみる。初めてそこにはくっきりとした美しい月の姿が映り、いつもは気がつかない窪みや影など、決して一様ではないその細部に改めて気づくはずです。他人の思いも同様です。今まで自分はこうだと思っていたことが少し違う、こういうこともあったのかと驚くこともしばしばです。
いつもはなかなか気付かないままに過ごしてしまう、まさに我々は凡夫であり、真理に暗い無明長夜の暗であることを思い知らされます。

晦日(みそか、つごもり)とはもともと暗い日という意味が有りますが、つごもりはつきごもり(月隠もり)の転じたものです。月のない日は暗い、朔の前の月明かりのない日は晦日です。その一年最後の晦日である大晦日(おおつごもり)も、もうわずかです。夜も夜明け前が一番暗いといいます。しかし本当に暗いときにはもうすでに夜明けは目の前なのです。希望は膨らむばかりです。そして一条の光はたちまちに闇を切り裂きます。

今年は大震災や原発事故、そして経済不況などなど震撼とさせられること、不安が募ることの多い年でした。しかし新しい年も間近です。そして年が明ければすぐに法然上人の801回忌を迎えることになります。源智上人が法然上人の1周忌に多くの人々にお念仏の功徳を振り向けて、法然上人亡き後の新しい時代に対処したように、我々も法然上人のお念仏の恩徳をかみしめつつ、800年大遠忌の後の時代に備えなければなりません。皆様ご健勝で良きお年をお迎え下さい。        合掌

東日本大震災に対する浄土宗東京教区の対応概略

2011 年 11 月 20 日

▼平成23年春季彼岸会の折に東京教区内各御寺院に募金箱を設置頂きました義援金に付きまして、速やかに被災地にお届けできるように、この義援金を下記の通り送金させて頂きました。

岩手県義援金口座  5,000,000円
宮城県義援金口座  5,000,000円
福島県義援金口座  5,000,000円
あしなが育英会    3,001,742円 *1
JANIC         2,000,000円 *2

*1 東日本大地震・津波遺児への「特別一時金」の支給や
    心のケア活動への寄付
*2 国際協力NGOセンター
    「東日本大震災 支援活動まとめて募金」

▼4月7日開催の教区緊急震災対策会議におきまして、今後の被災者支援につきまして、次のように決しました。
(出席者:教区長、参事、議長、副議長、特別予算委員長、予算委員長、組長代表、宗会議員代表、教化団長、副団長、関連五団体代表)

1.被災寺院への義援金   
  東京教区寺院より義援金を直接届ける。(一口3万円・継続中)
 
  (平成23年6月6日現在) 
   岩手教区・宮城教区・福島教区へ、
   合計1,000万円ずつ送金いたしました。

2.被災寺院の復興支援   
  宗の復興支援計画(震災復興課金など)を待ち対応する。

3.被災者一般への復興募金 
  浄青が募金箱設置を継続

4.災害対策委員会(仮称)設立準備委員会を開催する。
   (時期未定)

5.被災教区浄青の依頼を受け、被災寺院の瓦礫撤去・清掃作業を行う。ボランティア募集の窓口は、東京浄青が担う。

なにとぞご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。

東日本大震災への対応について

2011 年 11 月 20 日

東日本大震災で犠牲となられた方々に謹んで哀悼の意を表します。被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
そして、今なお被災地および各地に避難されている皆さまの安全をご祈念申し上げます。
被災された皆さまには、教区内各寺院にて義援金を募りお届けいたします。一日も早い復興をお祈り申し上げます。
被災地への、
浄土宗東京教区の対応はこちらをご覧ください。

「ナターシャ・グジー」コンサート                              〜平成23年度第3回仏教成人大学教養講座

2011 年 11 月 2 日

ナターシャ・グジーコンサート
〜水晶の歌声とバンドゥーラの可憐な響き〜

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撮影:広河隆一
申込書は、上の写真をクリックしてください

11月18日(金)13:00〜15:45
於:大本山増上寺三縁ホール
入場料:1000円
お問い合わせは、教務所まで

ウクライナ生まれ。
ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が
発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。
その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。
ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。
1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。
2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。
その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。
2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。
コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で
活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。

今月の法話(11月)

2011 年 11 月 1 日

enomoto

  「平生(ふだん)のお念仏」

  榎本雄心(城北組浄心寺)



 千年に一度の天災といわれるこの度の東日本大震災は、誰も全く予想だにしなかった「まさか」の事態が、想定外の現実に起きてしまったのです。「まさか」とは「晴天の霹靂」、まさしく突然の大惨事に遭遇してしまったのです。
 ボランティアで津波の後始末に参加したのですが、現実に被害を眼前にした途端、いかに大自然の力が物凄いものであるかを、全身で感じたのです。体は硬直し、異様な大気と地の底から上る霊気が全身を通して伝わり、体を震わせながら感じたのです。
 今は瓦礫と化した建築物や一切の生活用品など諸々の物が汚泥や砂に埋もれ、一面に散乱している。津波の凄まじさを思い知らされたのです。津波の直前までは、人も動植物も皆ともに生きて、確かにここに存在し、建造物など形があったはずです。
 深く重く切ない譬えようのない哀しい思いが、体の底から嗚咽となって込み上げてきて声にならず、ただうなるお念仏をやっとの思いで称え、ご冥福を祈るのが精一杯でした。
 諸行無常(常時万物は変化し続ける)は釈尊の教えですが、まさにこの状況は激変する大自然の大変化、「まさか」しかないのです。何故ならこの災害を誰が予想しえたでしょうか。まさに寝耳に水の大災害なのです。
 
 しかし法然上人は、この諸行無常の大激変をすでに私たちにお示しになっています。
 『念仏往生要義抄』(以下、意訳)の中で、ある人が法然上人に尋ねた。「阿弥陀仏のお救いくださる光明は、平生(常の、ふだん)ですか、臨終の時ですか、どうでしょうか。」
 法然上人は、「平生のときから臨終の時に到るまで、阿弥陀仏は照らしてくださいます。何故かといいますと、常日頃から極楽往生を願って偽りのない心(至誠心)、罪深い自身でさえも救うてくださる阿弥陀仏を深く信じる心(深心)、極楽浄土に往生することを心から切望する心をもってお念仏する(回向発願心)。以上のように三心の具わったお念仏だから必ず往生できるのです。そのように『観無量寿経』は説きます。三心具足(三心を具えた)のお念仏の志をもってお念仏する人を、阿弥陀仏は無量の光明を放ち照らして、常日頃から臨終の時にいたるまで決してお見捨てにならないのです。」とお答えになりました。法然上人はすでにこのとき、常に変化し続けることを、そして時には激変する事を示されておられるのです。

 また三心を具えるとは『一枚起請文』に「ただ一向に念仏すべし」であると法然上人はお導きくださるのです。つまり「ただひたすら往生を願ってお念仏する事」と心得ます。
 阿弥陀仏を始め、諸仏・諸菩薩・諸天善神は、常日頃から三心が具わったお念仏をただひたすら称え続ける事によって、いずれは来る臨終の最期まで、しっかりと念仏者をご守護してくださるのです。

 「まさか」という想定外の如何なる大激変にも、ふだんからしっかりと「お念仏」を称える事によって、如何なる事態にも動ぜずに、毅然と行動でき、ふだんと変わらぬ安らかな心「安心」がいただけるとお導きくださるのです。ここに『一枚起請文』に示される「ただ一向に念仏すべし」のお念仏の法然上人の御心が示されているのです。

 哀しい時にも寂しい時にもいかなる時にも、阿弥陀仏をただひたすら頼むお念仏をする。ここに念仏信仰の大安心をいただくのです。
 法然上人のご霊徳に感謝し、八百年大遠忌報恩謝徳のお十念を捧げ、東日本大震災物故者一切の諸精霊位に鎮魂の十念を捧げ、ここに心からご冥福をお祈り致すばかりです。
 十 念

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